京丹後市指定文化財
丹哥府志(たんかふし)の原本
丹後旧事記と並ぶ丹後の歴史や地誌を知る上において大変貴重な歴史資料である。宝暦13年(1763年)から天保12年(1841年)までかかり、宮津藩の儒者小林玄章(こばやしげんしょう)とその子の之保、孫の之原が三代にわたって著述した記録である。原本は、昭和2年の丹後震災で焼失したものと思われていたが、わずかに竹野郡の部のみが網野町郷の立野家に保存されて残っていた。
(
京丹後市HPより)
そんな丹哥府志に描かれている馬立島の東壁に去年の9月下旬に行ってきた。
↓馬立島の大壁(=東壁)
↓鷹取の様子。馬立島の岩壁にある鷹の巣から鷹狩に使うために鷹の雛を取ってる絵だそう。紐にぶら下がっている。
↓以下四ヶ条馬立嶋中の奇景、大うろ、観音坂、大壁(=東壁)、鷹ノ巣
懸崖数千丈(丈=3m、つまり数千丈=6000-9000m)と書かれています。
僕が見て登った感じは、高さ70m。どんだけ大袈裟やねん。
↓試験に出ます
↓航空(衛生?)写真
↓カヤックアプローチ
↓丹哥府志でいう馬立島の四つ奇景のひとつ「観音坂」ってひょっとしてこの坂??。
↓馬立島の四つの奇景のひとつ「大うろ」おそらく。
↓全景。四奇景のひとつ「鷹の巣」は見なかった。
↓四奇景のひとつ「大壁」(=東壁)の登攀ライン
1P目、クラックが続いてて快適トラッド。
2P目右、人生で一番やばいのレイバックをしてから10mほどクラックを登るが、1mほどクラックが閉じていた。細かいホールドはあったが肩に下げたギアが重くてムーブができない。上にハンドクラック見えてるのに。
2P目左、快適クラックから、被ったフィンガークラックを人工。
3P目、幅数mのボロい水平層があって出だしが登れず。すぐ上に硬そうなクラックが見えてるのに。
3P目、左に敗走トラバース。落ちたらやばい決死のトラバース。
1P目
奥の岬は丹哥府志にも出てくる、正面崎と甲岩。
奥の島は毛島
2P目、ここでクラックが閉じていた。
2P目、別のライン
3P目、敗走。でもむっちゃこわい。
けんけんじりじり